なんちゃってパッタイ(8日目・ヒューストン)
チェックインから2時間近く経ったころ…このまま寝てしまおうと思ったが、トランジットとはいえ、せっかくヒューストンまで来て、「ホテルで昼寝」では勿体無い! そんなわけで、ベッドから起き上がり、とりあえずホテル周辺を見て回ることにする。だがここは「国道沿いのビジネスホテル」。ちょっと歩いたぐらいでは本当に何もなく、バスに乗ってダウンタウンに出かけてみることにする。事前情報にあった「ダウンタウン行きのバス」の停留所が分かったからである。
ただし、このバス停が曲者で、あまり目立たない上に、時刻表がないから、いつ来るかわからない。30分近く待って、バスに乗ること1時間近くで、ダウンタウンに到着する。「不安になるくらい遠くまで来た。」って感じだ。途中、通り過ぎた住宅街が荒廃していないことが救いである。 すでに時刻は夕方5時近く。途中、街の中心部を通ったようだが、あまりに人通りがなく、どこが繁華街か分からず、終点まで乗ってしまったわけである。ここから中心部まで歩いて戻ることにする。しかし…何となくホテルから出て、何となくノリでバスに乗ったわけで…。
ガイドブックのコピーを持ってくるべきだった! …と今さらながらに気付く。ホテルにあったヒューストンガイドを持ってきたのが救いである。それを頼りに歩き出すが、メイシーズ(アメリカの百貨店)もショッピングモールもほとんど閉まっている。本屋が営業していても、あまり意味はないし。 やっぱりヒューストンは、そんなに楽しそうな街ではない(観光にはいまいち)。このトランジットがニューアーク空港だったら、どんなによかっただろうかと思った。(交通の便は全然便利だし、見所もたくさんあるし、絶対昼寝などしないだろう。)
結局…、「ヒューストンのダウンタウンの街並みを見学しました。」って感じか? まあホテルで昼寝してるよりはいいだろう。とりあえず見たからホテルに帰るか〜〜。 だが「行きはよいよい帰りは怖い」とはまさにこのこと。 「帰りはタクシーでも拾えばいいだろう。」と思っていたが、ダウンタウンは広く、コレという中心部は見当たらない。しかも「人いない。」「店開いていない。」「タクシー通らない。」の3拍子。(要はビジネス街だから、基本的に日曜日は休みなのだろう。)おまけにどのバス停にも時刻表がない。ルート図も書いていない。バスが何時まで運行しているのかも分からない。治安が悪そうじゃないのだけが救いだ。
どうしろというのだ〜〜?! ただ、こういうこともあろうかと、行きに乗ったバスが「ルート102」であることは覚えている。そこで「102・空港行き」が停まるバス停を探し、ひたすらバスを待つ。ダウンジャケットを着て来てよかった。ヒューストンは東京より暖かいとはいえ、気温が下がってきている。革のジャケットだけなら、間違いなく風邪を引くだろう。 だが、時刻はまだ夜7時前とはいえ、相変わらず人通りはほとんどばく、車ばかり通る。こういう時、1人は心もとなく、本当に強盗でも出そうである。同じくバス待ちしている女子高生がいるぐらいだから大丈夫だろうが。1時間ほど経過した後、空港行きのバスが来た。
これでホテルに帰れる! だが、ここでまた難題に気づく。なぜなら、このバスは次の駅をアナウンスをしないことがある。ヘタな場所で下りたら、「タクシー来ない。」「人いない」で、また1時間ぐらい次のバスを待つしかなくなる。だが、私の降りる場所はほとんど終点に近いので、分からなかったら、いっそのこと終点(空港)まで乗った方が無難かもしれない。 ![]() 何なのだ?! 乗客全員がよくわからないままに停車すること30分ほど…。同じバス会社の人がやってきた。 バスが故障〜〜?! ここで降りろってか?!こんな何もない場所で、どうしろというのだ? どうやら、後発のバスに乗り換えろと言うことらしい。もちろん追加のバス代は必要なかったが、えらいタイムロスである。特別目的もなかったからいいけど。 そして、段々見覚えのある景色が近づいてくる。「もうすぐそこだ!」と思ったところで、降車ベル替わりの紐をひっぱる。まさにそれはホテルの前。道路挟んで向かいのシェラトンホテルの近くで降りた。 結局、バス代は10ドルもかかってないが、ダウンタウンに行って帰るだけで数時間以上もかかった。やれやれ。でもバスの運行状況もよくわからず、土地勘もない上、方向音痴なのに、我ながらよく帰って来れたものだと思う。(だがこれで、旅行記のネタができたとほくそ笑んだことも事実。笑) さて今日の夕食は、ホテル近くのレストランがたくさん並んでいる場所に行く。…と言っても、国道沿いによくありがちな、ほとんど人が来ず、やってるんだか、やってないんだが分からない店ばかり。ピザとか雑貨屋に近いスーパーとかサブウェイなどがあるが、中華レストランに入る。
しかし店に入った瞬間…、「この店の料理は絶対まずいぞ!!」と直感する。 最初に頼んだのは、あまりに身体が冷え切ったのでホットティー。 ![]() 私が注文したのは「海老のパッタイ」 しかし、出てきたのは「きしめんのナポリタン味」。 何でパッタイがケチャップ味やねん。 パッタイを食べたことがあるアジア人なら、100人中99人が「パッタイではない。」と言うだろう。…というか、「Chinese Restaurant」とあるのに、なぜタイ料理があるのか?!シェフに問い詰めてみたい。 ともあれ、ホテルに帰って、エクアドルで買ったお菓子でも食べていたほうがマシである。 そして、伝票とともにウエイトレスが持ってきたお菓子の中には、おみくじらしきものが入っていた。(「fortune cookie」と言い、アメリカの中華レストランではよく出てくるらしい。) "Every burden is a blessing." 全ての重荷は神の恵みである。 これは間違いなく聖書の言葉で、意訳すると「神は乗り越えられない試練を与えない」。 年初から、私の今年一年を象徴しそうな疲れる言葉である。 (そして、この予感が正しかったことを、帰国直後から思い知ることになり、さらに1年、この言葉に付きまとわれる羽目になる。) 熱いシャワーを浴びて、ホテルの自動販売機で買ったミネラルウォーターを買い、多少パッキングを済ませて寝ることにする。
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Eighteen or nineteen〜〜??!!(最終日・ヒューストン〜成田)
今日は、本当に帰国するだけの日。朝6時30分に起きるつもりが、目覚めたのは6時。 インターネットの回線状態がいいので、日記の返事を書き、メールをチェックして、みのむちくんの携帯にもメールを送る。日本は夜11時前で、みのむちくんから「早く帰ってきなたい。」と返信が来た。7時になり、着替えて化粧をして、荷物を片付け始める。スーツケースの重量が50ポンドを超えないよう、色々調整するが、「何で汚れ物ばかり後生大事に手荷物で持って帰らないといけないのだ。」と思い直し、お土産と詰め替える。 8時前にはチェックアウトしようと思うが、せっかくなので、朝食を食べることにする。…といっても、1階にあるごく簡単なカフェテリアで、パンや飲み物、果物が置いてある程度である。コーヒーを飲み、デニッシュとバナナを食べる。
時刻は午前8時。フライトは10時45分なのでまだ余裕だが、これを逃すと明日までないので、早めに空港に行くことにする。フロントにタクシーを呼んでもらうよう頼むと、シャトルバスが8時30分に出ると言う。しかし、それでは出発2時間前ぎりぎりになるので、やはりタクシーを頼んだ。どのみち10ドル程度だろう。 …と強気に考えてしまうのは、現金をまだ100ドルも持っていることと、円高のおかげである。 5分ぐらいでタクシーが到着し、空港に向けて出発する。やはり普通にお金を出している分、タクシーの運転手の方が親切だ。(笑)12ドルだったので、チップを含め14ドルを支払う。
さて、コンチネンタル航空の国際線カウンターは、ターミナルEにあるようだ。並ぼうとすると「東京行きはあっちだ。」と言われる。よくよく見ると、左手側に日本語で「東京」と書かれているのだからぼけている。 そしてチェックインカウンターで、パスポートとEチケットをプリントアウトしたものを出すと「あなた、ずいぶん若く見えるわね。」と言われる。(当たり前だが、パスポートには生年月日が書かれているので実年齢が分かる)。私が「日本でもよくそう言われる。」と言うと、「You look at eighteen or nineteen.Great!」という。 Eighteen or nineteen〜〜??!!(18歳か19歳。) えええええええ〜〜〜〜??!! 聞き間違いか?!しかし、どう考えても、eighty(80歳)やninety(90歳)ではだろう。だから、さっきのタクシーの運転手も、私のことを「Miss」と言ったのか?!!(私の経験では、アメリカでは女性客は「ma'am」、男性は「sir」と言われることが多い。) 確かに私は、日本でも若く見られ、ヘタしたら10歳ぐらい若く見られるが、ここまでくると苦笑せざるをえない。エクアドルで子供料金と思われた妹のことを笑えない。思わず、「あははははは。」と力のない笑いをしてしまった。
その後、セキュリティチェックを通って、空港内に入ることにする。また靴もベルトも外さなくてはいけないし、パソコンはPCバックをあけて、わかるようにしなくてはいけない。そのわりにはスムーズに来たので、搭乗までまだ1時間以上もある。 そこで、空港内を歩き回ることにする。現金がまだ90ドルぐらいあったので、免税店でリキュールと、みのむちくんのお土産用にビーフジャーキーを買うことにする。これは搭乗ゲートでのピックアップとなるようだ。しかし、ヒューストン空港にはNASAのグッズが売られていると聞いていたが見当たらない。
疲れてきたので、搭乗ゲートE7のコンセント近くの座席に座り、パソコンを立ち上げ、旅行記の続きを書くことにする。ただし、無線LANがたくさん飛び交っていても、私のパソコンでは接続できないようだ。 搭乗案内のアナウンスが流れたところで、パソコンの電源を切り並ぶ。意外に日本人が少ないのは、ヒューストンがあまり観光に適した街ではないからだろう。だが、意外にも機内は満席で、機体の真ん中の座席まで埋まっている。この座席は機内でももっとも外れなので、通路側でよかった。 ![]() なんて思っていると、隣の男性が私に話しかけてくる。ケリーさんと言うカンザス州出身の45歳のバツ一男性。これから成田でトランジットして、コリアエアーでソウルに向かうと言う。 職業は消防士(ファイヤーマン)で、救命士のライセンスも持っているらしい。ソウルで1年間、レスキューの技術を指導しに行くらしい。 驚くことに、カザフスタン、カナダ、イタリア、ドイツ、アラスカ、アフガニスタンと色んな国を転々とし、英語、スペイン語、イタリア語、ドイツ語と、4ヶ国語も話せるのだそうだ。 世界を渡り歩く、「フリーのファイヤーマンのインストラクター」と言うことらしい。そして、アルゼンチンには4ヶ月間住んでいて、エクアドルのジャングルにも行ったことがあるらしい。 私が「エクアドルに行った。」と言うと、「エクアドル?それはいいね。」と言った。「エクアドル?!なんで?!」という意見が多い中、そんなことをいう人を初めて見た。彼はファイヤーマンと言ったが、みのむちくんは「きっと“252生存者あり”の世界だね。ハイパーレスキューのような人ではないか?」と言う。だから彼にとっては、職場よりエクアドルのジャングルの方が安全なのかもしれない。 そして、ケリーさんには7歳になる息子がいて、彼の両親と一緒にカンザス州に住んでいるらしい。「一緒に連れて行かないの?」と聞いたら「息子には学校があるから。年に5回帰国して会っている。」と言った。とても息子を愛していて、彼の財布の中は息子の写真ばかりだった。そんなに英語が堪能ではない私でも、「He'll handsome in the future.」(彼は将来ハンサムになるよ。)ぐらいは言える。(本当は「become」を入れないといけないが、意味は通じたからよしとする。笑) …とまあ、まともそうな男性なので、「また結婚するかもよ?」と言うと、「結婚はもうこりごりだよ〜。」と言う。おそらく、彼の元妻は私と変わらないぐらいの年齢。…と考えると、その年代のアメリカ女性は強すぎちゃって、確かにこりごりかもしれない。(笑)ちなみに日本茶が好きらしいが、「コンチネンタル航空の機内食がうまい。」という味覚だけは、私には理解できない。(笑)
世界中渡り歩いてきただけあって、非英語圏の人との会話も慣れているようで、分かりやすくゆっくり話してくれる。だが旅行記を更新したいし、母国語以外の言語でずっと話すのは意外に大変なので、早く寝てくれとも思う。 しかし、複数の言語が話せるこの人も、日本語はほとんどわからないようだ。コレ幸いと、旅行記の続きを書き始め、「何を書いてるの?」と言われて、「Diary.」と答える。まさか今この瞬間に、自分のことを書かれているとは、夢にも思ってもいないだろう。(笑) そして、成田空港に近づいてきた頃、入国カードが配られる。トランジットの場合は、入国カードは書かなくていいらしい。(まあ、それが普通で、アメリカが特殊だろう。)竹中直人を上品にしたような日本人パーサーに「乗ったのはヒューストンからですが、エクアドルからの帰りです。」と言うと、黄色の質問状を渡された。南米でもブラジル、ボリビア、エクアドルは、感染症の汚染地域なので、成田で健康報告を義務付けられている。 そして成田には、予定より10分早く到着。ケリーさんとは「よい旅を!さようなら!」と言って別れ、私は帰国手続きをし、荷物の受け取り場へ向かう。今回の旅行での被害は、布製カバンの取っ手の部分が破れたこと。荷物を預けたときに粗雑に扱われたことが原因だが、またもやコンチネンタル航空の保障はなし。(思わず、空港職員に「コンチネンタル航空は何にも保障してくれないですね。」とイヤミを言ってしまった。)ただし、3年前に1000円で買った安物。「(保険会社に提出する)証明書を書きます。」と言われたが、時間が勿体ないので断った。 さらに税関で、「エクアドルへはお仕事ですか?」と聞かれる。またか…。私がバックパッカーにも見えないからだろう。そして、「キトに滞在する妹に会いに行きました。妹はJICAのボランティアスタッフとして、派遣されているのです。」と言うと納得するのが、世界共通の認識らしい。
久々の一人旅で感じたのは「一人旅はよく話しかけられる。」と言うことだ。日本人ではなくて他国の人達に…である。(当たり前だが、一人旅なら「少なくとも英語ぐらいは話せる。」と思われるようだ。)自分で言うのもなんだけど、私は日本人の集団の中では日本人だと思われるが、インターナショナルな場にいると、あまり日本人と思われないせいもあるだろう。 でも他に頼る人もいないと、否が応でも英語力がアップする。それでもまだ、霧がかかったように視界の悪い中で話しているようなレベルだが、私の対応はほぼ間違ってなかったようなのでよしとする。(苦笑)
そしてご存知の通り、普段の私はほとんど個人旅行。しかし、今回はほとんど集団行動で、おまけに毎朝早いし、えらく疲れて、ホテルだけでも一人で過ごしてよかったと思った。 だが、「行ってよかったか?」と言われたら、間違いなく「行ってよかった!」と思う。本当に貴重な体験。そして、同行してくれた現地の隊員やエクアドルの人たちがいたからこそ、危ない目にも遭わず、英語が通じにくい中で、ほとんど苦労せずに過ごせたのである。
帰りの京成スカイライナーで、あちこちに「帰国しましたメール」を出す。自宅に戻ったのは夕方6時ごろ。1時間ぐらいネットして、その後みのむちくんが帰ってくるまでひたすら眠り続け、翌朝までご飯を食べなかった。しかし、翌日はもう出社である。 ![]() 帰国後、妹からのメールには「終始ラッキーな旅行だったね。姉ちゃんが乗った便が到着する1時間前までは、めっちゃ霧が出て視界最悪だったのに、ほぼ定刻に着いたし。同僚の皆にも、“多分見られない。”」と言われてた、ガラパゴスペンギンにも会えたし。(そのぐらいレア度が高いらしい。) ちょっと高山病のような症状が出たものの、大したことなかったし。(ひどい人はかなりひどく出るらしい。)エドウィンが、思いがけずあちこち連れてってくれたし。エクアドル滞在中、トラブルがほとんどなかったのは、やっぱり日本で色々あったせいか??(笑)」とあった。 しかし、この「ラッキーな旅行」に対しての「ツケ」はまだ完全に払いきれてないらしく、出社直後から忙しく働くことになる。そして週末の3連休、ずっと眠り続けて、やっと体力が回復してきた。 さらに妹からの後日談。「同僚は皆、“みのこはいつ、また来るの?”って言ってたよ。“もう来ないよ。こんな地球の裏側まで。”って言ったら、皆本気で残念そうだった。」私も本当に残念だ。ディエゴにも会いたかったなぁ。(妹の同僚であり、親友でもある男性。いい加減で女好きの典型的ラテン系だけど、根はマジかもしれない。) ![]() すると、「不思議!!本当に不思議!エドウィンも同じこと言ってたよ!“約束しなくても、また会えそうな気がする”って。“どんな確率やねん?!”って思ったけど、お互いがそう思ってるとはね。」と大層驚いていた。 以心伝心だ〜〜!(←実は私にとってはよくある現象だけど、外国人とは珍しい。) どうも私には「第六感」みたいなものがあって「なんの根拠もないのに、確信していること」は、ほとんど外れない。 …ということは、きっとまたどこかで会えるのだろう。 エクアドルか?日本か?はたまたどこか違う国か?それは私も分からない。だって、つい1年前まで、まさか私がエクアドルに行くなんて、微塵も思っていなかったのだから。またいつの日か、南米大陸に足を踏み入れる日が来るのかもしれない。 |
〜 El Fin 〜