オペラ開演(5日目・ウィーン・初日)
| 今日の演目はチャイコフスキーの「スペードの女王」。2009年の6月に、ボリショイオペラが日本公演を行っている。 18世紀末、舞台はロシアのサンクトペテルブルク。士官ゲルマンが友人のトムスキー伯爵に、名も知らぬ美しい女性に恋をしていることを打ち明ける。そこに、トムスキーの友人であるエレツキー公爵が、婚約者のリーザとその祖母である伯爵夫人を伴って現れた。 だがこのリーザこそ、ゲルマンが想いを寄せている女性である。ショックを受けるゲルマンにトムスキーは、この伯爵夫人はかつてはパリ社交界の花形で、「モスクワのヴイーナス」と言われていた若き日の噂を話しだした。
伯爵夫人は、カード賭博に夢中になり、ある晩大損をした。そこに、彼女に夢中になっているサンジェルマン伯爵が、自分の想いを受け入れることを条件に、必ず勝つといわれている3枚のカードの秘密を教える。 おかげで伯爵夫人は破滅を逃れるが、ある晩幽霊が現れ「あなたは、カードの秘密を知ろうとする男に殺されるだろう。」という予言を受ける。以来彼女は、一切カード賭博を一切行わなくなったと言う。 その話を聞いたゲルマンは「貧しい自分でも3枚のカードを知って、大金を手に入れれば、リーザを手に入れることができる。」という野望を抱く。リーザもまた婚約中に関わらず、まだ名も知らぬ士官・ゲルマンへの思いを胸に物思いに沈んでいる。そこへゲルマンがリーザのいる館に進入し、彼女への愛を訴える。最初は拒んでいたリーザも、その愛を受け入れてしまう。
舞台変わって…パーティのシーン。リーザはゲルマンと密会をするために、そっと彼に鍵を渡す。だがゲルマンは、伯爵夫人の部屋に忍び込み、「3つのカードの秘密」を教えるよう迫る。伯爵夫人はショックのあまり、発作を起こして死んでしまった。 そして、祖母の死を知ったリーザは、ゲルマンは自分を愛していたのではなく、「カードの秘密」を知るのが目的で近づいたと誤解して嘆く。リーザの愛を失ったと、憔悴しきったゲルマンの前に、伯爵夫人の亡霊が現れ「3つの勝ち札」を告げる。それは「3」「7」「A」。 最後の望みを胸に、ゲルマンに逢いたいと運河のほとりで待つリーザ。だが、一攫千金の野望にのみとりつかれてしまったゲルマンは、リーザを振り切って賭博場に向かってしまう。絶望したリーザは運河に身を投げた……。
最後の舞台は、深夜の賭博場。 婚約者を奪われたエレツキー公爵が、ゲルマンに復讐を誓う。 そこへゲルマンが現れ、大金を賭け始める。「3」「7」で勝利を収めたゲルマンは、最後にエレツキー公爵と対戦する。「エース」で勝つはずだったが、誤って「スペード」を引いてしまう。 全てを失い、もはや正気ではなくなったゲルマンは、ピストルで自らを撃ち、リーザとエレツキーに謝罪しながら息絶える。 …という何とも救いようがないほど暗い話である。(苦笑) 上記のあらすじは事前に読んで行ったが、上演はオリジナルのロシア語。(小澤征爾氏は、翻訳するともとの意味が伝わらなくなるので、原語で上演を行う主義らしい。)通りで、目の前の字幕に英語とドイツ語の2つの選択があるわけだ。(オーストリアの言語はドイツ語なので、ドイツ語で上演されているなら必要はない。)上演時間は前半2時間のちに、30分の休憩。その後また1時間ほど行う。 最初に書いたとおり、私はオペラを見るのは初めてなので、他と比べようがないのだが…。 3時間を越える長丁場で、しかも何を言ってるのか?半分も分からなくても、意外に興味深く見れるものだなと思った。やはりオペラ座に出演するような歌手はレベルが違うのか? しかし、いまいちちゃんと理解できないせいか、「さっきまでラブラブだったのに、もう立ち去れ!!とか言うんかい??」と「展開はや!!」って感じである。 小澤征爾氏を「すごいなぁ〜。」と思ったのは、途中30分の休憩を挟むが、公演中の3時間、ずっと立ちっぱなしで、オーケストラにも、出演者にも指示を出していたことである。70歳を過ぎているのに、すごい体力だ。 そして、(当たり前だが)テレビとは比べ物にならないぐらい、音響効果がよい。(もうひとつ当たり前だが)ここはオペラ専門の劇場。舞台の下に別途オーケストラピットを作ることで、観客は両方を見て楽しめる。 さらに、みのむちくんが「ねえねえ、チューバーの人、寝そうにだよ。ヾ(@°▽°@)ノさっきから立ったり座ったりしてるんだけど、(サビの部分しか出番がないから)楽器を持とうともしないし。(笑)」という見方もできる。(トロンボーンも同様である。笑) そして、舞台は舞台として、完全に作り上げることができ、場面転換も可能となる。最初、病院の設定だったのが、同じセットのまま(小道具が変わるだけで)婚約披露パーティ会場になったり、ヒロインの部屋になったりするのが全く違和感を感じない。そして暗い話の中でも、婚約披露パーティのところはにぎやかに、上半身はだかで踊っている人あり、ところどころインパクトを持たせているようである。
そして30分の休憩時間。 もし何かを食べたければ、急いで売店に行かないといけない。基本的にフロアでの立食で、どんどん混んでいくので、食べる場所がなくなっていく。ここでシャンパンを頼むのが「いかにも」である。(「いやあ、やっぱりオペラはウィーンだよね。」なんて、タキシードを着た元小泉総理がいそうだ。)だが高いので、みのむちくんはワイン、私はアイスティーにした。時間がない中、アルコールを飲むと悪酔いしそうである。そして、カナッペようなものを急いで食べる。
終演後、何度もカーテンコールが起こり、完全に幕が閉じてもまだ惜しみない拍手が続いている。(観客は日本人だけでなく、それ以外の方が圧倒的に多そうだ。)度々出演者が手をつないで出てくるが、小澤氏はそのたびに引っ張りだされ、何度も登場した。(笑) 小澤征爾氏に関しては、色々批判も聞こえてくるが、「これが世界のマエストロか〜〜。」と感心した。そして、みのむちくんは「これでもう悔いはない。」と言ったが、それは「小澤征爾氏が引退しても悔いはない。」と言う意味である。(笑)
外に出ると、予定より少々遅く、時間はもう夜11時近く、空いてるレストランも少ない。入り口近くで、出待ちをしている人がいたが、待っていてもしょうがないので立ち去ることにする。オペラ座近くのカフェはまだ空いているが、ここで食べて帰っても、電車はまだあるだろうか?疲れたので何か買って帰ることにするが、ホテル近くには何もない。空いているレストランもまばらにあったが、結局、駅近くのスタンドで、ホットドックを買う。 どうもウィーンでは、ホットドックのソーセージはパンにはさむのではなく、穴を開けて突っ込むらしい。決してまずくないのだが、疲れ過ぎて半分ぐらいしか食べないうちに寝てしまう。今日食べたのは、朝のバフェとバスの中で食べたパウンドケーキ(機内食の残り)、ザッハトルテ、オペラ座のオードブル少々、そしてこのホットドッグとえらい中途半端である。長い一日であった。
しかし、小澤征爾氏のウィーンでの公演は、来年の1月半ばまでないので、本当にいいタイミングだったと言える。帰国後、「小澤征爾氏指揮のオペラを見た。」と言うと、「日本でいいから私も見たい。」と言われたが、実は日本公演のチケットの方がなかなか取れない気がする。 なんて話をしていたら、翌年1月7日こんなニュースが飛び込んできた。「世界的指揮者の小澤征爾さん(74)が、食道がんの治療に専念するため、1月15日〜6月26日にウィーンと日本で予定していた全30公演をキャンセルすることを明らかにした。」 色んな意味で驚いた…。小澤氏のオペラ座の音楽監督の任期は2010年6月まで。今後復帰されても、またオペラ座で見れるかどうか分からない。 やはり、やりたいことはできるときにやるものだ。旅行前、小澤征爾氏指揮公演のオペラがあると知ったとき、私はみのむちくんに「こんな機会、滅多にないから、行った方がいいよ。」と言った。 だが何の根拠もなく私が「やらねば」と思うときは、その時は分からなくとも、何か理由があることを、私は知ってるのかもしれない。 しかし、生まれて初めて見たオペラがウィーンの国立歌劇場では、今後、変なところでヘタなオペラは見れない。(次はミラノのスカラ座か?ニューヨークのメトロポリタンしかないか?) |
オーストリアのけち(6日目・ウィーン・2日目)
昨日は深夜遅かったせいか、なかなか起きられずにうだうだとしている。昨夜は風呂にも入らず寝てしまった上に、旅行記のことは何も進んでいない。しかも、事細かにちゃんと書いてるのは最初のうちだけで、どんどん簡素化されていってる。(まあ…旅行記を書くために旅行してるわけではないので、その方がいいかもしれないが。) 8時30分頃、朝食を食べることにする。レストランに行くため、エレベータに乗るが、まるで従業員専用かと思うほど素っ気ない。 何とかならんのか?割り切って、「ちょっといいビジネスホテルに泊まってる。」と思えばいいのかもしれないが…。 そしてレストランは、レストランと言うより喫茶店のよう。ここで注意しなければいけないのは、宿泊料に含まれているのは「コンチネンタルブレックファーストのみ」ということ。それ以外のものを食べた場合、14.5ユーロ(約2000円)のチャージがかかる。 しかし、有料のものとそうでないものの区別は非常に分かりづらい。「あなたのコンチネンタルブレックファーストは、パンとコーヒー、ジュース、バター、ジャム、マーマレードです。(英語)」と、非常に小さいプレート1枚に書かれているのみ。うっかり見逃してしまいそうだが、「それが狙いか?」と勘ぐってしまう。
つまり、本当にパンと飲み物とバターとジャムのみで、未開封のヨーグルトを慌てて元の場所に戻した。(みのむちくんも間違えて、チョコレートソースを持ってきてしまった。) しかし、その他の料理にしても、コーンフレークや果物、チーズなど、たいして種類もなく、これで14.5ユーロとは、ぼったくりではないか?まさか「ホットミール用の器を使ったから。」と言って、料金を取ったりしないだろうな。 レストラン内を見回すと、ちらほらホットミールを食べている人がいるが、このシステムを理解している人は何人いるだろうか?それとも14.5ユーロの元を取ろうとしているのか?りんごを5個も取っている人もいた。
今日はまず、シェーンブルン宮殿(Schloss Schoenbrunn)に向かうことにする。このホテルは、日本で言うと、日本橋あたりに滞在しているようなものだろうか? なぜならホテルからトラムの駅に向かう途中で、ウィーンの証券取引所を見かけた。この証券取引所はオーストリア国内だけでなく、中東欧において重要な役割を果たしているらしい。(私は、海外投資を少々行っているが、残念ながらお世話になることはないだろうなと思う。)
トラムから地下鉄に乗り換え、シェーンブルン宮殿の最寄り駅に到着する。これまた観光客の行動は万国共通で、駅のホームとか車両を撮影するのである。(私もだ。笑)そして、有名な観光地なだけに、向かう人も多く、みんなが歩いている方向についていくことにする。それにしても今日の天気はイマイチだ。まあ、雨が降らないだけマシか? 正門玄関に到着すると、人混みの中、記念撮影をしている外国人がいる。私とみのむちくんだって外国人だが、アバヤ着用のアラブ系の人たち。あの衣装で記念撮影をして、個々の判別がつくのだろうか?
このシェーンブルン宮殿は、夏の離宮としてハプスブルク家が立てた宮殿である。 ヨーロッパの歴史は「ハプスブルグ家」なしでは語れない。なぜなら約640年もの間、オーストリアだけではなく、ヨーロッパの大半を支配下に治めた。そして、現在のヨーロッパの政治、経済、文化、学問などのあらゆる分野に、深く関わり、影響を与え続けてきたのである。
まず入場券を買わなくてはいけないが、チケット売り場はまるでディズニーリゾートのよう。すごい人の多さである。チケットにはシェーンブルン宮殿内だけでなく、他の施設も見学できるものなど、色々種類があるが、シシィチケットにした。シェーンブルン宮殿の40カ所を廻れるグランドツアーの他に、ホーフブルク王宮、シシィ博物館や宮廷家具博物館などが見られるのである。ウィーンカードを提示すると、22.5ユーロのところ20ユーロとなる。 だが、ちょっと長く待ったのでいきなりトイレに行くハメになる。(後に、色々な記事を見ると「シシィチケットを買うなら、混んでいるシェーンブルン宮殿ではなく、他で買った方がよい。」とあった。全くその通りだ。)
ちなみに(この後訪れる王宮もそうだが)日本語のオーディオガイド付である。まるで一昔前のでかい携帯のような機器で、ガイドを聞いている姿はみな一斉に電話をかけているようで面白い。しかし、普段ツアー慣れしてないせいか?オーディオガイドの詳しい説明に疲れてくる。
さて「ハプスブルク家」において、頻繁に登場する人物は3人。マリア・テレジアとフランツ・ヨーゼフ1世とその妻シシィである。だがこのガイドでは、歴史の並び関係なく登場するので、ごちゃごちゃになるが、マリア・テレジアが一番最初である。 ●マリア・テレジア(Maria Theresia)(1717-1780) 父カール6世の死後、オーストリア女帝として君臨する。夫の神聖ローマ皇帝フランツ1世シュテファンとは、当時では奇跡にも近い恋愛結婚らしい。政治的手腕に秀でており、教育制度の改革や産業の振興に努力し、「祖国の母」として、今もオーストリア国民に慕われているとか。ちなみにみのむちくんは何度も「“マリア・テレジア”ってマリー・アントワネットの親戚?(゚▼゚*)」と言ったが、親戚ではなく母である。(笑) ●フランツ・ヨーゼフ1世(Franz Joseph1)(1830-1916) オーストリア皇帝、およびハンガリー国王。即位当初は保守に徹していたが、後に近代的な国造りに専念し、国民の敬愛を集めた。しかし、晩年は長男、弟、后など、一族の非業の死が重なり、失意のうちに没する。そして、帝位を継いだカール1世の努力もむなしく、ハプスブルク帝国が終焉を迎えるきっかけとなる。 ●エリーザベト皇妃(愛称「シシィ」) Elisabeth (Sissi) (1837-1898) バイエルン公の次女として生を受け、1854年オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世と結婚し、三人の皇女と皇太子ルドルフをもうけた。だが姑ゾフィー大公妃と衝突し、宮廷にもなじめず、また最愛の息子を自殺によって失い、傷心の旅の途中、ジュネーヴで暗殺される。 以上の3人にまつわるものはもちろん、6才のモーツァルトがマリア・テレジアの前で演奏した「鏡の間」や「会議は踊る」で有名なウィーン会議で舞踏会が催された大広間、さらにマリア・テレジアが最も愛した「漆の間」など。いかにもヨーロッパらしい豪華絢爛な空間は、ハプスブルグ帝国が戦争の最中でも大宮殿を建設する余裕があるということを見せつけた。
…とここまで書けば、この旅行記を読んでる方も、興味がわいてくるだろう。しかし撮影許可だったのは外観のみ。「フラッシュ不可」のところは多いが、ここまで撮影不可な観光スポットも珍しい。ネットで多くの写真が公開されれば、観光客も増えるだろうに。 オーストリアのけち。
これが、私のウィーンに対する印象を、さらにイマイチなものにしている。大体、唯一撮影可能な外観にしても、「宮殿」と言うには地味すぎる。おまけに内部にしても、一般公開されてるのは、1141室のうちのたった40室。 再び、オーストリアのけち。 …と思わなくないが、あの長ったらしいオーディオガイド付ならその程度で精一杯だ。 40室の説明ですら、「フランツ・ヨーゼフは、朝4時30分から仕事してた。」とか事細かに説明され、疲れてどうでもよくなってきたりするのである。 |