2.退院8日目(12月22日)〜17日目(12月31日)【術後13日〜3週間目】

■12月23日

今日で術後2週間。
まだ胃腸の調子が悪いこともあったり、傷が痛むこともあるが、順調に回復していると思う。腹腔鏡手術の痕は4カ所だが、うち上部3箇所は、ほぼ治り、むしろ今は無意識に掻かないようにするために、バンドエイドを貼ってたりする。(その後、キズパワーパットに変えたが、これがかぶれて大失敗。( ̄▽ ̄;)

「寒がりモード」はだいぶマシになってきたが、みのむちくんが「12月25日、ディズニーリゾートに行こう!」と言ったのには、「とても無理。」と答えた。

術後の身体は、自分が想像した以上に寒さや冷えが大敵だ。寒いと傷がぴりぴり痛むし、すぐトイレに行きたくなって、これまた傷が痛む。そして表面の傷は小さくても、体内(子宮)は大きく縫われていることも事実。

そんなわけで今日、ヒートテックのニットパンツを買った。簡単に言うと「毛糸のパンツの進化版」みたいなもので、これが意外によくてあったかい!しばらく傷が治るまで、履いていることにした。


■12月24日

そんな調子で、遠出が出来ないので、近場でクリスマスのディナーコースを食べた。
しかし、むせてたら、マスターに「大丈夫ですか?」と。ちょっと大げさなぐらい厚着だし、まだ病人オーラ満載なのかもしれない。。(^_^;)


■12月25日

午前中は新宿に行き、午後からは有楽町という退院して初の長時間の外出。
有楽町では「平日にカフェでお茶して優雅」って感じだが、午前中は新宿にかかりつけの頭痛外来があって、薬がなくなってしまうから…と言う年寄り臭い理由。(; ̄ー ̄川

しかし、退院してから、これだけ長く歩いたのも初めて。「意外に平気だな。」と帰宅したら、下半身が冷え切っていて、痛み止めをのむほどひどくはないけど、傷がちょっと痛い。

…で、そのままうたた寝してたら、【昨年亡くなった母が「卵巣が痛い」と、妹を探して鬼気迫る形相でうろうろしている】という何とも薄気味悪い夢を見た。

表現が難しいけど、普通に道端を歩いていたら、ビックリするような形相で、あまりに気味が悪かったので妹にまで話したぐらい。そして、夢の中で母が「痛い」と言っている箇所は、私の手術の一番大きい傷跡と一致していた。

以前にも書いたが、私の母もまた筋腫もち。しかも、寝込むぐらいひどい症状や出血があったのにかかわらず、決して手術をしようとはしなかった。当時(30年ほど前)は「経過観察」か「開腹による子宮全摘術」の二択しかなく、母もまた子宮・卵巣を失いたくなかったからである。

しかし私は母に、子宮筋腫があることを一切話さなかった。なぜなら「この子も自分と同じ苦労を辿るんだ。自分より若いのに。(母の子宮筋腫発覚は40代前半で、私は30代半ばだったから)」と、この人(母)はほくそ笑むに違いない…と思ったから。

しかし、閉経しても、大きなお腹を抱え、しんどいままで生涯をすごした母に対し、私の子宮は筋腫だけが切除され、きれいな状態で残されている。

だが夢の中で、母は妹に「痛い」と言うことを訴えたかったらしい。母にとって私は「いないもの」となっているらしく、死後もなお、私は母の「妬みの対象」でしかないらしい。こんなことを悶々と考えてしまうのは、私に中途半端な霊感があるせい。。

昨夜は、かなり長く寝たはずなのに、帰宅後も眠くてうたた寝したのは、やはり久々の長時間の外出が疲れが出たのだろうか…?

でもこの「眠い」と言う感覚が、さんざんリュープリンの副作用「不眠」に悩まされてきた私にはとても新鮮。ただし、「薬の効果が抜けてる感」はなく、「眠くて仕方がない。」という副作用もあるので、ぬか喜びはできない。ともあれリュープリンの効果は、手術が終わると「邪魔」以外何者でもなく忌々しい。

でも気がつくと、(お腹の手術跡は)うつぶせに寝るのも全く平気になってきた。


■12月28日

このところずっと眠気が強い。体験記にも散々書いたが、この2ヶ月ぐらい、ずっと「不眠」に苦しんできたので、ものすごく不思議な感覚。

今も睡眠導入剤を服用しないと眠れないことにかわりはないし、寝て4時間後ぐらいには起きてしまうけど、二度寝ができる今日この頃。(ちょっと前までは、そこからまた睡眠導入剤をのまないと寝られなかった。)

しかも8時間も寝られるなんて!(ちょっと前までは、6時間寝られたら御の字だった。)
それでも昼間も眠くなって、夜10時頃にもまた眠くなり。。今は仕事も休んで毎日ぼーっとしてるだけで、別に疲れてもいないのに、なんでこんなに眠いのか?本当に不思議。

リュープリンの副作用の残存なのか?
それとも、やっと効果が薄れてきているのか?(残念ながらまだ、薬の効果が抜けてきている感はないけど。)
はたまた今まで満足に眠れなかった分を、体が取り戻そうとしているのか?

謎だ。。。

…と思いつつ、「生理痛のような痛み」があって(明らかに傷の痛みではなく「生理痛」って感じ)、久々に市販の痛み止めをのんだ。もしかして、もうすぐ生理来るのかも…?(早ければ12月いっぱい、遅くても1月中に生理が来ると言われていたので、きても不思議ではない。)

だったら嬉しいけど、まだ何とも言えない。(生理の復活=リュープリンの効果消滅となるのでかなり嬉しい。)ただ、院後の「やたら寒く感じられる」ということがなくなってきたので、やっぱり復活の兆しか?とも思うけど。。ぬか喜びに終わるとがっかりなので、半信半疑…と言ったところだろうか?
(*結局1月19日に生理が来たので、逆算すると25日あたりから薬の効果が薄れていったと思われます。…ということで、やたら眠気に襲われたのは、やはり女性ホルモンの復活かと。)


■12月30日

今日で術後3週間。みのむちくんは一人で実家に帰り、大掃除もせず、おせち料理を作るわけでもなく、ヒマヒマ状態。( ̄∇ ̄)

1年以上はいてなかったショートブーツを履いたら、何だか横幅が緩くて驚いた!確か、この靴、ピッタリ(ややきつめ)だったよねえと。入院中にそこまで体重減ったわけではないけども、こんな現象初めて見た!(でも子宮筋腫を取ったら、術後「むくみが取れた。」と言う話はよくある様子。)

そして今日は、同じ時期に隣に入院していた方とランチした。その方と私の手術日は4日違い。私の方が早くて、「1日の差がこんなに大きいんだと思うと、(自分の4日後を見てるようで)安心した。」と言われた。

だけど、お互いに傷の痛みもかなり回復しており、「本当に手術したのかなぁ?」と。どうにもぴんとこず、握りこぶしぐらいのでかい筋腫があったお腹を度々触って「おお!ないない。」と。M先生が言われた「入院1週間・その後自宅療養2週間」と言うのも「なるほど」と思った。

しかし出社1週間前を控え、気になることは、1ヶ月近く仕事を休んで復帰出来るのか?と。( ̄▽ ̄;)まだ薬の副作用が抜けておらず、相当ボケてそうで、むしろ頭のリハビリの方が必要だったりするんじゃないかと。

そして、どうも最近、血圧が下がりすぎてるようなので、自主的に薬(血圧効果剤)をのむのをやめてみた。これで2日め。3日間ぐらい経てば、完全に薬の効果も抜けそうで、それでも正常値を保ってるなら、薬は要らないのかも…?

では、なぜ血圧が上がったのか?
やっぱり「手術対するストレスじゃないの?」と。(;゜∀゜)(血圧が上がったのが分かったのは、手術日が決定した後だから。)

そこまでストレスなのか…?
と言われたら、「そうだよ!!平和な気持ちでなど過ごせるか!!」と。
どうも、私の心の不調はすぐ体に現れる。。。(;・∀・)


■12月31日

2013を振り返ると……(ほかの事を全く考えなかったわけじゃないけど…)ずっと子宮筋腫と手術のことばかり考えていた1年。

2月5日に、長年経過観察していた筋腫が増大している…と言われ、翌月5日にMRI検査を受けて、M先生から「これは(手術して)取った方がいいだろうね。」と。

そこから手術のことを考えなかった日は、今日のこの日まで1日もない。

何度も書いたけど、決して自分から「手術したい。」と思ったのではない。(病院も医者も嫌いなのに、耐え難い苦痛がない限り、手術なんかやりたいわけないじゃん!)M先生に半ば強引に、押し切られるようにして手術することになったのだから、その現実を受け入れるのに4ヶ月近くもかかった。

そして、9月ぐらいからは手術のために投与したリュープリンの副作用、特に手術前の1ヵ月半くらい前からは精神的落ち込みもかなりひどく、体力が半分以下に低下しているのに眠れない…という状態が続いた。

随所に書いているが、もし何か機会があったとしても、リュープリンだけはもう二度と絶対にやりたくない。(涙)いずれやってくる本当の更年期は「同じ症状が起きるわけではない。」と知って、かなりホッとした。

でも、あんなに大きな腫瘍を取ったのに、「まだ術後3週間しか経ってないの?!」と、回復の早さには驚かされるものがある。だからあれほど強く「腹腔鏡手術でできるうちにやるべきだ。」と言われたのだと納得した。

だから、腹腔鏡手術自体は「二度とやりたくない。」と言うほどでもない。むしろ手術にまでの道のりが色々大変で、やはり手術は滅多にやるもんじゃない「一大イベント」だと思った。(^_^;)